1997年4月14日── 台湾・台北の朝。高校2年生の少女・白暁燕(パイ・シャオイェン)は、制服に身を包み通学のため家を出た。母は人気女優・白冰冰(バイ・ビンビン)。芸能界という光の中に生きる家庭に、突如として闇が忍び寄る。
白暁燕はそのまま行方を絶ち、数時間後、家族のもとに電話が入る。
「娘は預かった。命が惜しければ、500万米ドルを用意しろ」
電話の主は、台湾の凶悪犯罪史に名を残す3人組。陳進興(チェン・ジンシン)、高天民(カオ・ティエンミン)、林春生(リン・チュンション)という名の犯罪者たちである。
身代金交渉の迷走と報道の過熱
犯人たちは白冰冰に対して、身代金500万ドル(当時のレートで約1.3億台湾ドル)を要求。白家側も交渉に応じようとしたが、問題はここからだった。
報道各社がスクープ合戦を繰り広げ、事件の詳細はリアルタイムでテレビに流れた。テレビ局のSNG車は犯人の潜伏先周辺にまで押し寄せ、警察の動きや捜査情報がメディアを通じて犯人に漏れる事態に。
交渉の度に犯人は身代金の受け渡し場所を変更し、ついには受け取りを拒否。交渉は完全に決裂する。
発見された遺体と残酷な事実
1997年4月28日、台北郊外の桃園・大渓の水路で、白暁燕の遺体が発見された。死後数日が経過しており、検視の結果、肝臓の破裂と腹部裂傷による失血死と判明。さらに、左手の小指は切断されていた。
犯人たちは、彼女の小指を切り取り写真と共に白家に送りつけることで、脅迫の材料としていたのだった。その冷酷さに、台湾社会全体が怒りと恐怖に震えた。
犯人の逃亡と銃撃戦、そして最後の立てこもり事件
事件発覚後、3人の犯人は逃走を続けながら、強盗や婦女暴行などの凶行を繰り返す。1997年4月25日、高天民と林春生は警察との銃撃戦の末に死亡。残された陳進興は、台湾中の警察に追われながら潜伏を続けた。
そして1997年11月18日──陳進興は台北市内の南アフリカ大使館武官邸に侵入し、外交官一家を人質に取り、立てこもる。テレビカメラの前で記者を呼びつけ、事件の詳細を語る姿は社会に衝撃を与えた。
「自分だけが悪いんじゃない。社会がオレをこうしたんだ」
この立てこもりは23時間に及び、最終的に陳進興は投降。その後の裁判で5件の死刑と2件の無期懲役判決を受け、1999年10月6日に銃殺刑が執行された。
社会を変えた少女の死
白暁燕事件は、単なる誘拐殺人事件にとどまらず、台湾社会の多くの問題を浮き彫りにした。
- 報道の過熱とメディアのモラル
- 警察の初動対応と指揮系統の混乱
- 子どもの安全対策の未整備
- 死刑制度に関する国民的議論
母・白冰冰は事件後、「白曉燕文教基金会」を設立。娘の名前を冠したこの団体は、子どもたちの教育支援や安全対策の啓蒙活動を現在も続けている。
終わりに
「なぜ彼女は助からなかったのか」──この問いに台湾社会は今も向き合い続けている。わずか17年の命が問いかけたのは、人間の冷酷さと、社会の脆弱さであった。
白暁燕事件。それは台湾の記憶に深く刻まれた、“消えない傷跡”である。
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